B1-榛名に祈る(2)
B1-榛名に祈る(2)
以下の記事殆どがwikipedia引用
榛名に祈る
伊香保大明神 伊香保姫
高野辺左大将の末娘 沼に身を投げた後 伊香保大
明神と呼ばれる 二番目の姉は赤城大明神となった
余談になるが
栃木県佐野市に「みかも山公園(三毳山)」がある
万葉集にも謳われる名山で日本神話に登場する星の神
「天香香背男命」が祀られ、山麓にはこの神を祀る
里宮が鎮座している
榛名の女神
さて、榛名に戻ろう 榛名の榛とは
音読みではシン 訓読みではハシバミ、ハリ
と読むそうだ カバノキ科の落葉低木
意味は草木の生い茂った場所
漢字辞典0nline参照
白樺もその一種らしい
シラカンバ・ダケカンバ・ウダイカンバ
シラカンバ ダケカンバ ウダイカンバ
和名:シラカンバ
アイヌ語名:レタッタッニretat-tat-ni
(白い樺皮のとれる木)等 別名:シラカバ,カバ
漢字表記:白樺 英名:Japanese white birch
学名 Betula platyphylla var. japonica Hara
分類 カバノキ科カバノキ属
分布 北海道,本州中部以北,アジア東北部
生態・形態
シラカンバは沼沢地や山地,ウダイカンバは山地に,
ダケカンバは亜高山~高山に生える落葉樹。
北海道立総合研究機構記事参照
榛の意味としては、中国と日本では似ているが
別々の木「ハシバミ」と「ハンノキ」を指して
いる ハシバミは低木(2m)だが、それに反
して、ハンノキは4-20mにもなる高木である
榛の象形文字 語源辞典 60爺の手習いより
引用の引用 稲作とは秦氏らしい漢字の成り立ち
ではある 私見を述べるに 赤城の麓伊勢崎市
に渕名神社という神社がある 単に名という漢字
がつくので挙げてみただけだが
渕名神社
渕名神社上淵名かみふちな雙児山ふたごやま古墳
前方後円墳 総長約130m、墳長約90m、
後円径60m・高8.4m、前方幅82m・高6.9m
フチナとはアイヌ語読みすれば母なる大地
であり川の流れる大地である
話を戻すと榛名とは
①カバノキの生い茂る標高の高い大地
②秦氏系の技術者集団の開拓した山という
意味が浮かんでくる
続く
(左)一番上の姉 渕名姫 (真ん中)末娘 伊香保姫
(二番目の姉) 赤城姫
赤城山三姫物語
第17代天皇履中天皇の時代、高野辺大将家成という
公家がいたが、無実の罪で、上野國勢多郡深栖
(現前橋市粕川町深津ともいわれる)流され、そこで、
若君一人、姫君三人に恵まれた。
粕川町深津 現在大室古墳群の近く今井北原遺跡 伊勢崎市赤堀の民話
赤堀地区には赤城山の小沼に結びつく竜女伝説が
いくつもある
その一つは昔、赤堀郷の長者道玄の16歳になる一人娘が、
赤城山に参拝に行き、小沼のほとりで水中にひきこまれ、
沼の主の龍神になってしまったというもの。悲嘆に暮れた父は
小沼に赤飯を供養として流すと、翌日には空になった重箱だけ
が水面にもどるという。それから16歳の娘が小沼を
通るときには、引き込まれないように身代わりとして
鏡を投げ入れたという
他には、徳川家康の旗本、小菅又三郎の妻で赤堀道完
(=道元、道玄)の娘が赤城明神に参拝に行くと小沼の辺
ですさまじい数のむかでが現れ、内室を沼の中に引き
入れてしまった。その後、沼の主、竜蛇の姿になって現れた
といわれている 赤堀氏の祖先はムカデ退治をした藤原秀郷と
伝えられ、今井町の宝珠寺墓地には藤原秀郷、赤堀道玄、
小菅又八郎の墓がある。
淵名姫・赤城姫・伊香保姫がそれぞれ十一歳、九歳、
七歳の春に、母親が38歳で亡くなってしまい、父家成
は、その年の秋に世間の習慣に従って後妻を迎える
罪を許された家成は、上野国司に任命され任地へ
向かうが、継母は、美しく成長した三人の娘を疎ま
しく思うようになり、弟の更科次郎兼光をそそのかして
殺害を計画する
兼光は、まず姉姫である淵名姫を、利根川の倍屋ヶ淵
に沈めて殺してしまう。次女の赤城姫も追われ、赤城
山に逃げ込んだところ、赤城の沼の龍神が現れ姫を助
けてくれた 姫はその後、龍神を継いで赤城大明神とな
る 末の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られなんとか
生きながらえることができた
事件を知った家成は、慌てて戻るが、時すでに遅く、
淵名姫の亡くなった淵で神となった淵名姫と再会し、
悲しみのあまりこの淵に入水してしまう。
息子は、この知らせを聞き軍勢を率いて戻り、継母らを
捕らえ殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放した 甥を
頼るが甥に捨てられ死んでしまう。この、甥が叔母を捨
てた山が、姥捨山と言われている。
事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に淵名明神
の社を立てる→前述渕名神社
メモ
万葉集においては「賀美都家野 久路保乃祢呂乃 久受葉我多
可奈師家兒良尓 伊夜射可里久母(かみつけの くろほのねろの
くずはがた かなしけこらに いやざかりくも)」
(十四東歌3412)と詠まれている
履中天皇(りちゅうてんのう) 17代天皇 仁徳天皇の嫡子。
400年?-405年? 赤城まるごとガイド
淵名郷
ふちなごう
群馬県:上野国佐位郡淵名郷
「和名抄」高山寺本・東急本ともに「布知奈」と訓ずる
淵名の「淵」は粕かす川と早はや川が合流する辺りで、
旧利根川の河跡に深い淵がつくられたことによるものと
思われる「神道集」の上野勢多郡鎮守赤城大明神事に、
淵名庄に倍屋ますやヶ淵ふちがあり、ここを舞台とした
伝説を載せる。現佐波さわ郡境さかい町の
上淵名・下淵名を遺名とみる。同町伊与久の十三宝塚
いよくのじゆうさんぽうづか遺跡は佐位郡衙跡と
推定されているが、ここから「淵」とみられる刻字瓦
が出土している 日本歴史地名大系
続く

















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