B1-雑学覚書(3)榛名富士と浅間山

 

B1-雑学覚書(3)榛名富士と浅間山

榛名山と浅間山
かつて群馬県群馬郡 群馬町という所があった
歴史の古い町である 群馬町史 
国士舘大在学中「毒島」(ぶすじま)という姓の
学生にであった 勿論群馬県群馬郡群馬町の出身
である 調べてみると周辺には遺跡や文化施設が
多いのである 今更に因縁を感じるのである
毒という漢字を分解すると火山の姿が現れる
前ページかぐや姫の段で述べたが「くすぶる」
煙っている状態を言う「不火、火を噴く前段
階をいう」正式な文字では無い 形象文字で
ある 榛名山火山構造については

古期榛名火山:約50万年前頃から開始し、約24万
年前頃まで約20万年間の活動休止期を経て、約5
万年前から新期榛名火山の活動に移行
新期榛名火山:約5万年前の八崎降下軽石・白川火砕
流の噴出で開始し、榛名カルデラを形成。その後、榛
名富士、蛇ヶ岳、相馬山、水沢山、二ッ岳など少なく
とも5個の安山岩溶岩ドームを形成したが、いくつか
が山体崩壊し榛名山東側及び南側山麓に扇状地状地
形を形成
浅間山 榛名山 伊香保 Geo Laboratory様画像引用

50万年前 第4期更新世ミンデル氷期 
人類拡散モデル

寒冷期の生活モデル
榛名山の榛名はなぜ榛奈なのか 奈とすると
大地が強調され名であると秦が強調される
木は同族の指示支援となるので 秦氏に同調
する人々の集合体となる
秦の始皇帝 在位 前247年- 前210年
中国の初代皇帝 秦王に即位した後、勢力を拡大
し 他の諸国を次々と攻め滅ぼして、紀元前221年
に中国史上初めて天下統一を果たした 統一後、
王の称号から歴史上最初となる新たな称号「皇帝」
に改め、その始めとして「始皇帝」と号した
徐福
『史記』巻百十八「淮南衡山列伝」によると、
秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の
霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、
3,000人の童男童女(若い男女)と百工
(多くの技術者)を従え、財宝と財産、
五穀の種を持って東方に船出したものの
三神山には到らず、「平原広沢(広い平野と湿地)」
を得て王となり、秦には戻らなかったと
の記述がある

徐福出海東渡日本神話:探討徐福故里與徐公祠,
《史記·秦始皇本紀》與《海內十州記》
有關秦始皇追求長生不老藥的歷史記載
徐福東渡日本是真的嗎?史學家
:他登陸日本建國,成為第一個天皇
原來「日本人」祖先並非是徐福,
DNA結果出爐以後,答案讓人很意外!
日本祖先究竟來自哪裡?並非徐福後代,
DNA檢測讓日本人無法接受
这里是秦朝徐福东渡日本的起始地
 也是中国最早开放的国际港口!
青岛以港口立市 环海湾发展 青岛港
往来的船只吞吐着历史烟云 诉说着悠悠往事
《蓝海中国》EP10【CCTV纪录】

日本には弥生時代の頃徐福一行がやって来た
徐福一行は大船団でやってきて秦氏と名乗った
大船団といっても中国三国志を読むと驚くには
値しない普通の事だ 大きさから言えば軍事的
規模と言っていい 職人集団も恐らく軍事訓練
を受けていただろう その意味からすれば秦の
屯田兵とみても遠からずと思う その進軍の有
様はヤマト朝廷の東進と良く似ている
徐福は中国には戻らなかったが 目的は果たし
たのである そこに秦氏と名の乗った理由かある
榛名の榛をイメージ化すると武力に護られる秦氏
B1-雑学覚書(1) 林立の項参照のこと
民族の魂を継承するの意
秦の領土 朝鮮半島は秦である

毒島氏はヤマト朝廷下の豪族であった
すると榛=毒ということになる これをイメージ化
すると

ということになる
武力規模は解らないが 古墳時代榛名山噴火の
際の子持村武人遺跡が参考になる 権威とするもの
は三種の神器ならぬヤマト朝廷の威光を示すもので
ある さらにイメージ化すると
木偏に毒となる
似ている漢字は梅 梅干しの種には天神様がいる
青梅を食べると中毒死することがある 
しかし加工食品とすることで 毒も百薬の長
となる 将に雷神天神様は学問の神様でもある


コメント

このブログの人気の投稿

HomeB1

B1-ブログパイロット

B1-森の中のモール街