B1-キツネのくれた夢枕(1)
B1-キツネのくれた夢枕(1) ☆☆☆
もう数十年前の話になるが、私の父親が病院で
息を引き取った 身内親族が励ましともつかぬ
「お別れに集まった」ベッドの周囲に集まった者
たちの顔を見れば、死期が近いことを理解したで
あろう その父親が長男の私に「水」と言う
何度も催促する 父親にとって私は手間のかかる
子供であったのは間違いない 父親は教職に
あった その子が暴れん坊では「心労」は如何
ばかりであったか その父親が「世話になるな」
と私に言う 「山のような世話」を掛けたのは
私の方だ 何一つ「親孝行」らしきものは出来
なかった 皆が病院から引き揚げた「未明」
に父親は「旅立った」その時の父親の心情は
計り知れないが 私も年齢的に近づいている
のは間違いない ヒョッとするとあの時の
「末後の水」が最大の「親孝行」だったのかも
知れない そう思うこの頃ではある
余談
若い頃は私も例にもれず「のん兵衛」を目指して
いた それが今では年間でもコップ一杯か二杯
しか飲まない 目出度いと思う時に噛みしめる
ように飲んでいる 「お水」と言うと「水商売」に
携わっている人々を言う 流通業に携わっていると
「お客」で在ったり「従業員仲間」であったりする
そういう人々に誘われたりしてはお店にお邪魔
をする だから多少は生活の様子が解る
「本音」漏らすことはないが たまには「本音」が
漏れてくる 兎角「この世は金次第」「一心不乱」
に岸辺の枝葉にしがみ付く 「流される」
流されれば「流転」の人生が待っている
綺麗な「おべべ」も着られない
「余談」の「余談」
狐の「お水」には伏見のお酒や灘の生一本など
の銘酒がある
祝い事には欠かせぬ「お酒」
「ほろ酔い気分で世間のウサも何処吹く風」
「余談」の「余談」の「余談」
私も「願う」事なれば 旅立ちの前祝には
「末後の水」ならぬ狐のくれた「甘露の夢誘い水
」を頂戴したいものだ そう思いながら
神社に日参する日々ではある
「余談」×4
近代に至る頃までモンゴルの遊牧の民は、人生
の最後を迎えると、狼に遺体の処理を委ねるを
選択する人々がいたそうだ 日本でも「姥捨て」
の民話にみられるように 山の動物達に処理を任
せる風習があったようだ インド伝来の茶枳尼天
に見られるように、肉体と魂を分離してくれる神
日本では胎蔵界に入ることから 生誕及び寂滅
する道の双方向の現象とみられる 狼や狐の役割
とされ 特にインドでは尸林(しりん 墓場)の宗教
されている 死に至るまでの過程においては
誰しもが安楽に死にたいと思うであろう
苦痛の末に死にたいとは思わないのである
「余談」×5
手術に際しては「麻酔」が戦争映画では「モルヒネ」
がよく登場する 「苦痛」を伴う場面では必須の
アイテムとなる しかし何故狐には「化かす」という
所業が付随するのであろうか 「狐の窓」を覗くと
死に装束の天冠(てんがん)とは高貴な人の
冠を言うらしい
世俗を抜けてあの世へ向かう
来た道は帰り道 過去への道は思い出の道
迷わぬように
さて帰り道とは
洋の東西を問わず、時計回りとは逆方向つまり
過去へと向かうが一般的である 死を意識する
直前は過去の思い出が蘇ってくるというもので
ある これを儀礼として見てみると
私の子供の頃は、村の葬式は埋葬で在り 若い衆が
棺桶を担いで村の墓地へと運んだ 墓地の入り口
には石の台が設けられており 棺桶をこの上に置
くと反時計回りに7回半回した どうやら7という
数字はこの世の聖なる数字で 魂が人間という
生命体に実現したこの世のキーワードを表して
いるらしい それが-7.5となって魂の世界へと
一歩踏み出したことになる
ピタゴラス数秘術で言うと 7とは孤独、プライド
理性を表す 私はこれを主体性、認識の主体
と表している
A1-カプセル世界の中の私 参照のこと
続く
桔梗ヶ原神社と玄蕃之丞の石像
玄蕃稲荷神社
桔梗ヶ原には人がキツネに化かされる民話が
玄蕃稲荷神社
桔梗ヶ原には人がキツネに化かされる民話が
伝えられている。桔梗ヶ原に住む玄蕃之丞
(げんばのじょう)と呼ばれるキツネを筆頭に、
仲間のキツネで寿村の赤木山に住む新左衛門、
山形村の横手ヶ崎に住むお夏、さらに子分で
田川橋に住む与三郎、石灰山の沢尻に住む
さゑん等、多くのキツネたちを従えて大々的に
悪戯を働いていたという。wikipedia

桔梗の花

五芒星
古代西洋 wikipedia
歴史的に確認されているもっとも古い
歴史的に確認されているもっとも古い
五芒星の用法は、紀元前3000年頃の
メソポタミアの書物である。シュメール
人はこれをUB(ウブ)と呼んだ。さらに
下向き五芒星を「角・小さな空間・穴」
などの意味を表す絵文字とする。
エジプトでは子宮を表させていたことから
性的意味合いがあるとも言われている
陰陽道と安倍晴明の桔梗印
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として
陰陽道と安倍晴明の桔梗印
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として
伝えられている。印にこめられたその意味は、
陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、
木・火・土・金・水の5つの元素の働きの
相克を表したものであり、五芒星は
あらゆる魔除けの呪符として重宝された。
日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は
日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は
五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。
「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」や
「晴明九字(せいめいくじ)」とも言い、
キキョウの花を図案化した桔梗紋の
変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」
とも言う。家紋として現在使用されている
ものの多くは、桔梗紋の清明桔梗と見られ、
現在も晴明神社の神紋などに
見ることができる(セーマンドーマンも参照)。
wikipedia
wikipedia
五芒星は5つの要素を並列的に図案化で
きる図形として、洋の東西を問わず使わ
れてきた。世界中で魔術の記号とされ、
守護に用いることもあれば、サタニズム
に見られるように上下を逆向きにして悪魔
の象徴とすることもある。悪魔の象徴とし
てとらえる際には、デビルスターと呼ばれ
ることもある。wikipedia

反転した五芒星 デビルスター

反転した五芒星 デビルスター
随分以前にweb記事で読んだことが
ある 船は女性代名詞として霊的意味
合いがある そこからデビルスター
とは魂を運ぶ船の意味合いが浮かんで
くる 例えば精霊流しのような
さらには女性自身が魂の運び手のよう
な意味合いが見えてくる


反転した五芒星と狐の窓

六芒星
ユダヤ教がなにか教義の上からこの図形を
神聖なものとして見ているというような
事実はないが、17世紀以降、伝統的に
ユダヤ人を表わす記号として定着して
いる。このため、ユダヤ人の国であるイスラエ
ルの国旗にはダビデの星と呼ばれる青色の
六芒星が描かれている。wikipedia
五芒星と六芒星は、古代メソポタミアや
エジプトの時代から、人類の精神文化に
深く根ざした神聖なシンボルとして
存在してきた。
西洋では、五芒星はピタゴラス学派が
完全性と調和の象徴として崇めた
中世ヨーロッパではキリスト教徒が魔除けの
中世ヨーロッパではキリスト教徒が魔除けの
シンボルとして使用し、錬金術では人間と
宇宙の関係性を表現する重要な図形とされた
六芒星は「ダビデの星」としてユダヤ教の
六芒星は「ダビデの星」としてユダヤ教の
重要なシンボルとなり、現代では
イスラエル国旗にも採用されている
以上web論考/nikkeimatome.氏
以上web論考/nikkeimatome.氏
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